初めまして。
お菓子教室とお菓子の販売シュクルエピス主宰の手塚郁実(ゆみ)です。
現在は、お菓子教室をしながら毎月2日間開催している自宅でのお菓子の販売会の他、マルシェや、卸のお仕事、お菓子のレシピ開発をしています。
プライベートでは、女の子と男の子の2人の子育て真っ最中です。
1978年、三重県津市生まれ。
父はサラリーマン、母は専業主婦という、ごく一般的な家庭で育ちました。
3歳上の兄と4人家族で、好奇心旺盛で活発な女の子でした。
転勤族の父の影響で、小学2年の時に栃木の宇都宮、中1で東京と、2回転校を経験しました。
【お菓子を作り始めたきっかけ】
お菓子作りを始めたのは小学生2年生のとき。
きっかけは、大手の料理教室に通っていた母と、マーマレード入りのカップケーキを一緒に作ったことです。作って楽しい上に、美味しくて、食べた人がみんな笑顔になって、褒められて、すごくお得な気持ちになったのを覚えています。
お菓子作りの虜になった私に、おばあちゃんが今田美奈子先生の「世界のお菓子」というイラスト入りのお菓子の本を買ってくれました。今田先生に憧れて、「大きくなったらヨーロッパに留学して、今田先生みたいなお菓子研究家になる!」と夢を語っていました。
中学生の時は、料理にもはまりました。
「今日は私が夕飯作るから」と宣言したものの、3時間たっても終わらず、台所はぐちゃぐちゃで食べ始めるのが21時。兄が途中でおなかすいた、と怒り始めるというカオスな状態でよく母を困らせていました。
「きょうの料理」のバックナンバーナンバーを古本屋で集める、という謎の趣味もありました。(今もお菓子の本の収集癖があります)
【専門学校を出て職人の世界へ】
高校卒業後、「僕は料理界の東大にいく」というキャッチコピーに惹かれて、親元を離れ大阪の辻調理師専門学校に進学。
調理師免許を取得して、そのまま大阪のフランス料理店にパティシエとして就職。月4休み、1日16時間労働、初任給12万3000円という今考えると恐ろしくブラックな職場で、ホールと製造補助で1年半働きました。同期の女の子が製菓学校を首席で出た子で、レベルの差が悔しくて、休みの日はケーキ屋さんを10件はしごしたりしながら必死に勉強しました。
それから、実家のある東京に戻ってケーキ屋さんやカフェで働いたものの、長期間続かず数店舗を半年くらいの期間で点々としていました。パティシエとして中途半端な自分にもやもやしていました。
「このままじゃいけない」と、自分に喝を入れるため、パン屋でバイトしながら、夜間の東京都菓子学園という職業訓練校でお菓子を学び直しました。
【パティシエールとしてのターニングポイント】
東京都菓子学園で先生をやっていた洋菓子界の重鎮、故桑原清次先生と出会いました。
1年通った菓子学園を卒業後、先生がフランスに10日間旅行に行くのについていきました。私だけそのままフランスに残って、先生のパリ在住のお弟子さんに助けてもらいながら、パリのブーランジェリーパティスリーで3か月勤務しました。パリには、熱い思いを持った日本人のパティシエや料理人がたくさん働いていました。
3か月後、再びリヨンで開かれるクープドモンド(お菓子の世界大会)を見にやってきた桑原先生がまたご縁をつないでくれて、ブルターニュにあるサンマロの有名なホテルで、半年間働くことに!
パリとは違い私以外の日本人がいない田舎で、フランスの生活に触れられたのは、とてもいい経験になりました。
フランスから帰国したタイミングで、埼玉県春日部市の菓子工房オークウッドにオープニングスタッフとして入社。学生時代から憧れていた横田秀夫シェフの下で働けることになり、興奮して飛び跳ねるくらい嬉しかったです。
ですが、現実はそんなに甘くはなく、当時25歳の新人でもないフランス帰りの私に当たりはきつかったです。先輩に「フランスまで行ったくせに、そんなこともできないのかよ」と怒鳴られる毎日が続きました。
今までのようにすぐ辞めず、「なにくそっ」と頑張れたのは、お菓子への情熱と、大好きな横田シェフの下で働いているという思いがあったからです。オークウッドでは、初めて飴細工や、コンテストにも挑戦しました。
<恩師の横田シェフと>
3年ほどたって、横田シェフがプロデュースする銀座のミキモトラウンジ(現在閉店)でシェフを任せてもらい、ランチと皿盛りデザートを担当。そこでは横田シェフが一般の方にお菓子作りを教える教室もしていました。助手を担当しているうちに、「直接お菓子好きなお客さんと話せるお菓子教室って楽しいな」、と思うようになりました。
桑原先生と横田シェフは、今でも私の大好きなお菓子の師匠です。
【お菓子教室開業】
5年半働いたオークウッドを卒業し、2009年にお菓子教室シュクルエピスを開業しました。
自分のお店を開店するのではなく、教室業を選んだ理由は3つあります。
いつか結婚して子供も欲しかったので、教室業なら自宅で子供を育てながらできると思ったこと。2つ目は人と接するのが好きで、一緒にお菓子を作る楽しい時間を過ごしたいと思ったこと。3つ目は好奇心旺盛な性格なので、お店で1つのものを同じ場所で作り続けるより、自由に動ける時間を確保したいと思ったからです。
まずは、当時実家のあった大塚のマンションのリビングで始めました。
勢いだけで始めたお菓子教室は、当然集客できるわけもなく、それだけでは食べていけずに外部講師もしていました。
自宅教室と併行して、銀座の菓楽(現在閉店)と、恵比寿の料理教室ソリッソでお菓子教室の講師をさせてもらい、たくさんの経験を積み、多くの生徒様と出会えました。
自宅の教室も徐々にお客様が増えていきました。
リビングを使うので、土日に教室があるたびに両親に出かけてもらわないといけません。しかも、どんどん道具が増えてリビングの場所と冷蔵庫のスペースを侵食する、などの問題から両親との衝突が増えてしまい、引っ越しを決意しました。
開業3年目に、実家から割と近い駒込駅で、自宅兼お菓子教室を借りました。
途中、週末は教室をしながら、製菓業者の開発パティシエとして、初めてのサラリーマンのお仕事も経験しました。輸入素材と輸入ミキサーを扱っている会社で、比較実験を繰り返したり、1つの素材からいくつものお菓子を作ったり、展示会に参加したりしてお菓子の引き出しが増えました。
この経験が、少し違うだけで出来上がりに差が出る、という比較実験が好きになったきっかけです。
【自宅に菓子製造業許可付きのアトリエをつくりました】
お菓子教室の開業当初は、販売は考えていませんでしたが、友人や生徒様からお菓子を頼まれたりするようになり、もっと自分のお菓子をいろいろな人に食べてもらいたいと思うようになりました。
結婚を機に開発パティシエとしての仕事も辞めて、新居を建てることになりました。夫の理解もあり、自宅の玄関入ってすぐの部屋をアトリエにして、菓子製造業を取得。
お菓子の販売は大変ですが、教室だけでは出会えない新しいお客様に出会えます。毎月販売会を楽しみにしてくれている常連さんとのやり取りも楽しい時間です。
現在は、教室と販売の他、販売を始める時に苦労した経験から、お菓子の販売をしたい方のために、製造から販売の仕方、食品表示ラベル、レシピの作り方が総合的に学べるお菓子起業アカデミーも開催しています。
またここ数年は、プロが参加する味覚のコンテストにも挑戦しています。オークウッドの修行時代からコンクールに挑戦してきて、なかなか結果を出せませんでしたが、2021年にりんごスイーツコンクールでようやく念願だった初優勝をすることができました。味を評価してもらえて、とても嬉しかったです。
どんな職業もそうだと思いますが、突き詰めていくと明確なゴールはなく、一生勉強だなと感じます。数年前に作ったレシピも、あえて変えないものもありますが、製法、レシピ、焼成などより良くするために少しずつブラッシュアップしています。
時々シェフを招いて、プライベート講習会も開催しています。
美味しいお菓子を通して、笑顔と幸せを届けられる今の仕事に誇りとやりがいを感じています。
これからも、美味しいお菓子を生徒様やお客様にお届けするために、日々研鑽していきます。
こんなお菓子おたくの私ですが、一緒に本気でお菓子作りをしたいあなたのお越しをお待ちしております!
【コンテスト受賞歴と取得資格】
2009年 ボワロン杯パティシエールコンクール4位入賞
2019年 メープルスイーツコンテスト優秀賞
2020年 ブコクリームチーズコンテスト焼菓子部門準優勝
2021年 いいづなりんごスイーツコンクール優勝、町民賞W受賞
◆資格
調理師免許、食品表示診断士初級(現在中級勉強中)